先日見た「インセプション」。
面白かったのですが、
なんだか納得できない部分もあったので、
ネットの至る所で展開されている考察を参考にしてみました。
そこでの考察の中で、一番共感したのが、
全てがコブの夢の中である、というもの。
その考察を見るまでは思いもしなかった説ですが。
そもそもサイトーの権力も、その権力の使い方も、行動も、
そしてインセプション、という大きな依頼なのにその内容が小さい・・・
(ロバートに父親との和解をさせること、のみ!?
複雑すぎると定着しない、というような説明もなされていたけれど。)
などなど
つっこみどころ満載だし、
現実とされている世界で、コブ達は移動するにはしているけれど、
細部までは描かれず、
突然違う場所に飛んでいるような描かれ方をしている。
教授に会いに行った教室にも、
アリアドネと話をしたどこかの屋上にも。
現実世界でこまが回れば夢ではない、というのが、
この映画の中で観客へインセプションされた事で、
エンドロールの音楽が、
映画=夢 の終わり、のキックの合図であった。
こんな風に箇条書きにしてしまうと、
どんどん映画の魅力が減っていく気がしてきたけど
「全てが夢」説から想像すると、
夢からさめたコブはモルと子供達と穏やかに暮らしていて・・・
この物語の設定全てが夢の産物、という大ハッピーエンドであってほしいですが、
この映画の設定は面白くて魅力的なので、
夢オチはなんだか残念なので否定したいところ。
ちなみに2度見ましたが、
設定を理解しようと思うあまり、魅力が半減した感じがしました。
少し退屈な感じが。
それは私の見方が偏ってしまったからでしょう。
この映画、これから見る人には、難解であるとか、
そんな前知識なしで見てもらいたいです。
以下、某サイトからの引用・・・
クリストファー・ノーラン監督がインタビューで、
「もしかしたら複雑という印象があるかもしれない。だから分析したり、
夢のルールはなんだ? というところにとらわれがちになるが、
とにかくリラックスして。何か乗り物に乗った気分で見ていけば、理解できると思うから」
ともいっているそうだし。
・・・とのこと。
結局監督がそういうのなら。
最初の想い通り、
最後でこまが止まり、
コブは子供達の元に戻れたであろう、というラストで解釈を留めておこうと思います。
面白かったのですが、
なんだか納得できない部分もあったので、
ネットの至る所で展開されている考察を参考にしてみました。
そこでの考察の中で、一番共感したのが、
全てがコブの夢の中である、というもの。
その考察を見るまでは思いもしなかった説ですが。
そもそもサイトーの権力も、その権力の使い方も、行動も、
そしてインセプション、という大きな依頼なのにその内容が小さい・・・
(ロバートに父親との和解をさせること、のみ!?
複雑すぎると定着しない、というような説明もなされていたけれど。)
などなど
つっこみどころ満載だし、
現実とされている世界で、コブ達は移動するにはしているけれど、
細部までは描かれず、
突然違う場所に飛んでいるような描かれ方をしている。
教授に会いに行った教室にも、
アリアドネと話をしたどこかの屋上にも。
現実世界でこまが回れば夢ではない、というのが、
この映画の中で観客へインセプションされた事で、
エンドロールの音楽が、
映画=夢 の終わり、のキックの合図であった。
こんな風に箇条書きにしてしまうと、
どんどん映画の魅力が減っていく気がしてきたけど
「全てが夢」説から想像すると、
夢からさめたコブはモルと子供達と穏やかに暮らしていて・・・
この物語の設定全てが夢の産物、という大ハッピーエンドであってほしいですが、
この映画の設定は面白くて魅力的なので、
夢オチはなんだか残念なので否定したいところ。
ちなみに2度見ましたが、
設定を理解しようと思うあまり、魅力が半減した感じがしました。
少し退屈な感じが。
それは私の見方が偏ってしまったからでしょう。
この映画、これから見る人には、難解であるとか、
そんな前知識なしで見てもらいたいです。
以下、某サイトからの引用・・・
クリストファー・ノーラン監督がインタビューで、
「もしかしたら複雑という印象があるかもしれない。だから分析したり、
夢のルールはなんだ? というところにとらわれがちになるが、
とにかくリラックスして。何か乗り物に乗った気分で見ていけば、理解できると思うから」
ともいっているそうだし。
・・・とのこと。
結局監督がそういうのなら。
最初の想い通り、
最後でこまが止まり、
コブは子供達の元に戻れたであろう、というラストで解釈を留めておこうと思います。
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