ザ・ファブル

 2019 日本 映画

!ネタバレしています。ご注意下さい!


「ファブル 」映画と漫画は全く別物。

 主要キャラを軽く模倣しただけのものだと感じた。

 要は、ジャニーズの格闘技オタクがいて、 それを主役にする映画を、

という発案ありきで 制作されたのだろう。

 身体能力アピールできるし、ちょっとコミカルだし、

この設定使えるじゃん、みたいな軽いノリ。

 あとは福士蒼汰やら向井理に悪役やらせて女性客にウケるように。 


そんな中で異彩を放っていたのが柳楽裕也。

 彼が画面にいるだけで空気が違う。 内側から狂気がにじむというか、笑顔も不気味で。 

役者も誰が役不足なわけじゃない、実際岡田准一のアクションはすごかったし。  

でもそこに存在するのは、佐藤アキラじゃなくてアクションのすごい岡田准一でしかなかった。

 演技に引き込まれた柳楽裕也だって、ただの狂気のヤクザでしかない。

 要はそれぞれ単体で、物語として成立してない。

 暗部は描かずにポップにまとめたヤクザ映画、っていう感じ。

 本当に浅い。

闇を深く丁寧に描くと興行作品としては成り立たない、

というのが日本映画を作る世界の常識なのかもしれないけど、

 結局それでジャニーズやイケメン俳優ファンが一時的に喜ぶだけの薄っぺらな作品を量産して、

 映画ファンがいなくなり、ますます人気俳優頼みのものしか作れなくなる。

 その末路が日本映画の現在なんだろうな、と、

このファブル、あと最近みたあやしい彼女、を思い出してしみじみ考えた。

 映像はすごいし、役者だって脚本家だって、きっともっといい作品にできたはず。

 要はスポンサー、配給会社、大金を出す人たちが分かってないんだな。

いや、分かってないんじゃなくて良くも悪くも

日本的社会秩序が映画制作界に出来上がって誰にもどうこうできないんだろうな。

残念。 


 漫画の根底にある、アキラの中に絶対的に欠けているもの、

愛情とか感情とか、人との関わり方とか。 

幼い頃から殺し屋として生き抜く中で押し殺してきたものとどう向き合うべきなのか、

普通の生活、というものが意味するものの途方もない難しさ、

ただアキラとヨウコが夕飯を一緒に食べる、ということの意味する背景とか。

 ヘタな絵を採用されたことの意味とか。

 ボスの不気味な思惑とか、映画ではなんだか子供への愛情みたいに描かれていて、

俺の許可なく死ぬな、なんてくさいセリフに置き換えられてたけど失笑ポイントでしかなかった。

なんじゃそりゃ、って。

 普通に暮らす1年、それの意味するもの、その先に待ち構えるもの。

そんなのは完全に排除されてた。

フワッと佐藤浩市に言わせてはいたけど。

 ヨウコが抱える闇もただのアル中パリピ姉さんとしか描かれず。

映画しか知らないと、全く不要な意味のない存在だな。

なんでいたの?え、なんで強いの?っていう。

お兄ちゃんお兄ちゃん言うのも意味不明だろうし。 

まぁそれ言ったら全員なんでいたの?になるか。

 かなりハマって読んだ漫画だったので、

今さらだけど映画みてみたけど、全く別物でした、という感想です。 


Duka’s

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