3月11日の地震、そして原発事故が起こってから、
不安で何も手につかない日々を過ごしてきた。
被災された方々からすれば、
何の変わりも無く日常生活を送れている自分が
空虚・・・とかつぶやくこと自体、お話にならないことは分かっている。
この日々がどれだけ大切で、どれだけ有り難いものか、
というのももちろん身にしみている。
テレビが通常の体制で放送を始め、
日常が日常に戻っていく。
でも、いつも体の中心に大きな大きなわだかまりがある。
がんばろう、日本
ひとつになろう、日本
こんな言葉があふれているけど、
とてつもない違和感を感じる。
その違和感が何なのか、わからずにいたけれど、
先週、久しぶりに友人に会った時、強く感じることがあった。
友人は、震災前とひとつも変わらず。
「これ、アウトレットで買ったんだよ。5万円が、半額でさ~。」
とうれしそうに洋服を見せてくれた。
彼女が服を買ったことについては、別に何の感想もない。
悪いことであるわけがないし、否定することでもあるわけがない。
でも、以前のように、そんな話題で楽しめなくなっている自分に気付いた。
このままではいけない、という思いがあることにも。
なんだかうまく文章にできないけれど、
数日前に、まず知ることから始めなければいけない、と思ったように、
以前のように、ただ日々を呑気に笑って過ごしてばかりいるわけにはいかないと、
価値観を変える、今がその時だと、強く思う。
子供のためにも、日々楽しく生きることは必要だけれど、
自分の意思を持って、
大きな流れに流されることなく、
しっかり考えて生きていかねばならないと思う。
きっと、それが未来につながるのだ。
・・・抽象的だなぁ。
意味が分からない、こんな感じが今の私の心の中だ。
そんな中で、リスペクトしているのが孫正義。
経済界の一線にいる人が、原発について意見するというのは、
一般人のそれよりもはるかに重いことだと思う。
そして、自然エネルギー財団設立。
現状をどう変えていくか、その発想とパワーが本当に素晴らしいと思う。
私に出来る事はあまりに小さいけれど、
空虚を抱えて悶々としているなんて、
なにも生まないし、あまりに時間がもったいない。
久しぶりに元気をもらえるニュースだった。
こういうニュースを聞くと、言いたくなる。
がんばろう、日本
不安で何も手につかない日々を過ごしてきた。
被災された方々からすれば、
何の変わりも無く日常生活を送れている自分が
空虚・・・とかつぶやくこと自体、お話にならないことは分かっている。
この日々がどれだけ大切で、どれだけ有り難いものか、
というのももちろん身にしみている。
テレビが通常の体制で放送を始め、
日常が日常に戻っていく。
でも、いつも体の中心に大きな大きなわだかまりがある。
がんばろう、日本
ひとつになろう、日本
こんな言葉があふれているけど、
とてつもない違和感を感じる。
その違和感が何なのか、わからずにいたけれど、
先週、久しぶりに友人に会った時、強く感じることがあった。
友人は、震災前とひとつも変わらず。
「これ、アウトレットで買ったんだよ。5万円が、半額でさ~。」
とうれしそうに洋服を見せてくれた。
彼女が服を買ったことについては、別に何の感想もない。
悪いことであるわけがないし、否定することでもあるわけがない。
でも、以前のように、そんな話題で楽しめなくなっている自分に気付いた。
このままではいけない、という思いがあることにも。
なんだかうまく文章にできないけれど、
数日前に、まず知ることから始めなければいけない、と思ったように、
以前のように、ただ日々を呑気に笑って過ごしてばかりいるわけにはいかないと、
価値観を変える、今がその時だと、強く思う。
子供のためにも、日々楽しく生きることは必要だけれど、
自分の意思を持って、
大きな流れに流されることなく、
しっかり考えて生きていかねばならないと思う。
きっと、それが未来につながるのだ。
・・・抽象的だなぁ。
意味が分からない、こんな感じが今の私の心の中だ。
そんな中で、リスペクトしているのが孫正義。
経済界の一線にいる人が、原発について意見するというのは、
一般人のそれよりもはるかに重いことだと思う。
そして、自然エネルギー財団設立。
現状をどう変えていくか、その発想とパワーが本当に素晴らしいと思う。
私に出来る事はあまりに小さいけれど、
空虚を抱えて悶々としているなんて、
なにも生まないし、あまりに時間がもったいない。
久しぶりに元気をもらえるニュースだった。
こういうニュースを聞くと、言いたくなる。
がんばろう、日本
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